今回は教師の仕事なんて本当にやってられない!本気で疲れて、学校にいくのがしんどいと思う現職の先生の声を公開してしまいます。
昔と違ってドラマにあるような学校生活はどこへやら・・
- モンスターペアレンツの対応ができない
- SNSなんでも拡散&個人情報がさらされる
- ほぼ無給の部活指導や残業
- 臨時や非常勤で毎年の教採がメンドクサイ
- 教師間のいじめやパワハラ
言い出したらきりがない程問題点が山積みです。ただ、教師は立場上生徒や保護者の不満をぶちまけることもできず、なんとか我慢して過ごしている人が多いです。
もちろん9割の生徒はかわいくて仕方がありませんし、これほどやりがいのある仕事はないとは思います。
ただ、本当に辛いことも多いんだよ?ってことで同じように悩んでいる先生向けにまとめました。
小学校教師の本音
小学校教師が仕事に疲れたと思うことについてまずまとめてみます。低学年と高学年では悩みが違うようですが以下のような意見が多いです。
- 低学年は保護者の年齢も若く大変
- 小学校は非常勤採用が非常に多く待遇格差がある
- 若手教員との意識の差が大きい
時給が割に合わなさすぎるし、責任の押し付けもある
勤続年数は3年ほどで、立場は非常勤教諭です。年収は決して高くはなく、手取りで250万ほど、担当学年は主に小学低学年になりますが、実際には非常勤職員に似た働き方をしており、全校生徒を対象に国語、道徳を指導する立場にありました。
非常勤講師は時間講師ですから、いずれ正規教諭として勤務することもできます。しかし、その実態は給与面で不利です。
授業数に応じた報酬制、やっていることは派遣社員と同じで、女性教諭の産休・育休によって雇われています。
小学校に配属されるのも主幹教諭が配置されている場合に限りますから、求人数は明らかに少ないポジションです。
主幹教諭が校務分掌なので、その役割を担うことになります。
採点業務には時給が発生しない
あまり表沙汰にはなりませんが、非常勤の場合には丸付け(テストの採点)、授業の準備に発生する労働は授業をした数のみの報酬制では発生しないので、正直な話し、割に合いません。
いくら授業準備や採点に時間をかけても残業手当などというものもありませんから、体調不良でもなるべく授業を受け持つしかなく、それでいて、時間外のことは手を抜けないならこそ、しんどさがありました。
責任の押し付けが辛くて教師をやめた
辞めたくなるのは、責任の押し付けがあるからです。
休み時間中に遊具から転倒した児童の管理不足も受けましたし、他の教諭の体罰問題も押し付けられそうになりました。
あとは、募集時の条件と待遇が違っていても、『それならどうしますか』という答えしか返ってこない時には、正直、辞めたくなりました。
転勤可が採用条件でしたが、家庭があるので転勤できない時も知らぬ存ぜぬで、対応も厳しいものでした。
また、周りの教諭も冷ややかなもので、サポートしてくれる教諭はほとんどいません。
どんなに頑張ったところで、他の教諭には時間外に入るでしょうし、早く自由になりたいと思う部分があるのでしょう。
定時きっかりに帰路につく方々ばかりで、辞めました。その後は、丸付け先生としてボランティアで児童所で働いています。
教師間の能力者とやる気の差があり気疲れする
愛知県で公立の学校で教師をしています。今年で正規教員としては10年目になります。今年度は四年生を担当しており、学年主任もやっています。学校の生徒指導担当もここ何年かやっています。学校の規模は900人くらいなので大きいです。年収は550万くらいかと思います。
仕事の不平等さについてやってられないなぁーって感じることがあります。
子どものことが第一なので、学級崩壊とかそのほか仕事が滞ってしまって子どもに迷惑がかかってしまうことは一番いけないことです。
やる気のない同僚の教師を見るのが辛い
しかし、能力の低い先生や「私は出来ないから」といってもやろうともしない若い教員がいます。
「多忙化というパワーワード」を若手教員が振りかざして仕事をさぼるのはいかがなものかと思います。
そんな姿を見ているとやってらんないわーって思う反面やるしかないのかなぁーっていう気持ちも起きてきます。全ては子どものためなのに、自分の都合で仕事をしている人を見ているだけでもしんどいって思います。
モチベーションの問題ってメンタルを使う仕事にとっての大切なことですので、、
自分のレベルアップのために仕事を続ける
辞めたくなることはあります。昨今多種多様な家庭のスタイルがあっていろんな問題に対処していかないといけないこともあります。
本当に精神的に気を使う仕事だなって思います。しかし、その問題や仕事にうまいこと対処していくことで自分のレベルはアップしていきます。
時代の変化に対応している教師を子どもはしっかりと見ています。今の子どもたちはとても繊細です。だからこそいろんなことに気付きます。
先生が寄り添っていない姿にもです。教師を見る目がある子どもと共に、自分のやりたいことをズバズバと進めていけることは気分爽快です。
どんなことでも承認して、認めてあげることで子どもはどんどん伸びます!そして、そんな教師についてきてくれます。それこそがやりがいです。
臨時講師なので自分の成果が専任評価になって辛い
小学校の臨時的任用教員として働く24歳女性です。
臨時的任用教員として採用され、働き始めてからまだ年月は浅いですが、採用試験合格を目指しながら頑張っています。
低学年のクラスを中心に、担任の先生をサポートする形で教室に入るのが、私の役割です。
今年度も連続して勤務できることになったので、もう少しこの仕事を頑張ってみようと思っています。
教員としての仕事は、とても楽しいです。
子供たちが好きですし、触れ合っていられる時間は、とても貴重な時間だと感じます。
ですが、採用されている立場的なものが原因で、辛いと感じることはあります。
臨時的任用教員の仕事の内容は、正規の先生に準ずるものとされているので、同じような仕事をすることが多いです。
ですが、自分がやった作業でも、結局担任の先生がやった作業として扱われたり、功績とされることがよくあります。
心の中で、「私がやったのに・・・」と思うと、本当にやってらんないなという気持ちでいっぱいです。
雑用的な仕事を任されることも多く、しんどいなと思うことがあります。
体育の授業で使う用具や、授業で使う道具類は、すべて事前に私が用意します。
立場的に考えると当たり前なのかもしれませんが、雑用が多くて不満だらけです。
本当の先生でないと言われるのも悲しい
いつも同じ教室で過ごしていた子供たちに、「先生は本当の先生じゃないの?」と質問されたことがあります。
きっとどこかの保護者が、私のことをそんな風に説明したのだろうと思いました。思わずびっくりして言葉に詰まりましたが、ショックで仕方なかったです。
確かに私は「本物の先生」ではないかもしれません。
でも、やっていることは本物の先生とそんなに変わらないはずです。
子供たちからそんな目で見られていたのかと思うと、この仕事を辞めたいと思わずにはいられませんでした。
何とか思いとどまりましたが、結局思いとどまらせてくれたのも子供たちの笑顔でした。
子供たちと触れ合っていると、なんだかんだ嫌なことを忘れることができるような気がします。
そのことをきっかけに、何が何でも採用試験に合格してやるという気持ちが沸き起こりました。
ショックな言葉を投げかけられましたが、自分がいかに教師になりたいかという気持ちを、再認識するいいきっかけになったと思います。
仕事を効率化するとさらに仕事が増えてつらい
東京都の公立小学校に9年勤務、1、2、5、6年を担任、そのうち2年学年主任をしました。
少人数算数も1年間やりました。転職前最後は2年生の担任でした。
効率よく自分の仕事を終わらせると「手が空いてるならやってほしい」と他学年の仕事が回ってくるのがきついです。
一緒に組んでいる同僚の中には、事務仕事が苦手な人や、長時間勤務が苦ではない人など、さまざまな仕事のペースの人がいて、それ自体は得意不得意の範囲なのでまったく問題はないとは思いますが、共通の仕事に関しては不平等感はのこります。
自分の仕事をゆっくりやっている人は自分の仕事だけやり、効率よく終わらせた人が学年の仕事をたくさん受け持つことが辛かったです。
本当は早く帰ればいいのだろうし、自分も早く仕事ができないふりをすればいいのかもしれないが、心配性な性格もあって早めにすませたい方だったのでできなかったです。
段々ストレスがたまり、常に不公平だと思ってしまう自分の考え方自体もつらかったです。
忙しすぎて結局退職
年次が進むごとに、自分のペースを守りながら、帰れるときは堂々と帰れることが増えていった。
若いころは、「先輩の先生に仕事を振ったり残しておいたりするのがとても失礼なことなんじゃないか」と思っていたし、言いにくいこともあったが時間がいくらあってもたりなかったです
結局「ここまで終わらせておきました」とか、「残りはまた来週一緒にやるという形でもいいですか?」など、言い方を考えて、全てが自分に押し付けられる状況をうまく避ける方法を考えました。
また、年を追うごとに分掌の仕事も多くなっていったので、そちらに割く時間も大きいので、という理由でも断れるようになりました。
それでも忙しすぎて、自分の中で区切りがついた時点で退職し、まったく違う仕事に転職しています。
小学校特別支援学級のしんどいところ
正規教員:勤続11年で、年収800万円、小学校普通学級と特別支援学級担任です。
通算で6年、このうち高等学校、特別支援学校高等部3年勤務、期限付教諭を経験しました。
教師の仕事は、子どもの生き方を大きく変える職業であり崇高なものです。ストレス過多で、病気になり辞めた同僚もみてきました。
医師の仕事、介護、障害者福祉など「人と向き合う仕事」は、ストレスが過多になりやすく、そのコントロールをしていかなければ長続きはしません。
現場において、私は七転八倒の日々でした。苦しいと感ずることも数多くありました。再び、正教員へと採用試験にチャレンジしてきましたが、どうも私のように歳をとった者、奇抜な考えをする者はいらないようです。
子どもの笑顔それが教師のエネルギー源ということを知った教師は強いです。
1.子どもとの信頼関係が崩れてしまったと思った時
小学校では狭い教室の中での子どもとのやりとりが重要です。担任への期待は大きなものがあり、「僕たち、私たちの先生」なのです。かっこいい、面白い、話をよく聞いてくれる先生がいいのに決まっています。それが何かの拍子で崩れて信頼関係が崩れてしまったと思った時です。
2.保護者が学級経営を理解してくれないとき。
管理職に文句を言い、管理職がすぐに伝えてこず、問題が大きくなってしまうこと学級経営方針が全ての保護者が受け入れるわけがありません。時間をとって説明をしたいですが、テストや宿題の〇つけなど雑用が多く教師の仕事は多忙すぎます。
3.型にはまった教え方を暗に強要されるのは、やっていられない。
一昔前は教師が個性を生かし教材研究を熱心にやって、授業にあたっていました。くだらない書類作りで授業を煉る時間もなく、ロボットのように教えているようでは、子どもは育ちません。
学級崩壊の時に辞めたくなった
正教員を辞めた時は、上記1.の心境でした。言うことを聞かない、罵詈雑言を浴びせられ、学級は荒れました。しかし、私は間違っていたのです。
まだ子どもは私を「無視」していなかった。今はこういうケースはたくさんあると思います。このピンチは、よく子どもの話を聞くことで、学級も全ての子どもも、先生も大きく成長するチャンスです。
それと勇気がいりますが、一番面倒な子に光を当てて経営をすることです。
その子の家庭環境は正常なものではないと推察しますが、やり切れない思いを学校でぶつけているだけです。
協力してくれそうな同僚には協力を求めることです。
そのうち2.のケースもあるかもしれません。辛抱することです。段々と学級の雰囲気が良くなってきますので、批判する親と決して戦ってはいけません。
3.については多忙な中、「練り上げられた」授業は、いつもはできないと思いますが、子どもが食いつくような授業を心がけてみてください。
保護者が学生のようで社会常識がない
公立小学校で低学年をしている23歳の女性です。私が言うのも何なのですが、小学校1年のママさんの中にはかなり若い方がいます。
本当に一部の方なのですが、社会経験が全くないために非常識にふるまいます。授業参観中にスマホを親がいじる・煙草を吸おうとするなどしんじられない行為を見ました。
生徒に悪気はないと思う
低学年の生徒はなんだかんだとても素直でかわいいです。虐待などを受けている子もいると本当にかわいそうです。子供は親を選べない・・・そんな現実を目にしながらも子供のために毎日頑張ってます。
やっぱり教師は素晴らしい仕事だと思います。
中学教師教師の本音
続いて中学教師が現場でしんどい・疲れたなどと愚痴りたくなることをまとめました。中学生は反抗期真っ盛りです。徐々に体力も付いてきてトラブルも大きくなります。
以下の3点は定番ですね。
- とにかく残業時間が多く、仕事量の差が激しい
- 保護者と生徒のトラブルが多く警察からの連絡も来る
- 興味のない部活の担当に強制的にさせられる
とにかく労働時間が長く家族と過ごせない
大学を卒業して、関東地方の教員採用試験を受験し、運良く合格をいただきました。その年から関東の田舎の方で、中学校教員として働きました。
そこで3年働き、3年経つ前に、地元である東北地方の教員採用試験を受験し、合格をいただきました。
現在は、東北地方の教員として働き、1年目が終わりを迎えたところです。
教員としては、4年働きました。年収は、やっと400万を超えたところ。担当は、中学一年生の担任をもっています。担当教科は理科です。
家で過ごす時間よりも、圧倒的に学校で過ごす時間が長い時です。
例えば、夜遅くまで働き、次の日も変わらず出勤するようなとき、22:00~7:00の9時間しか家で休んでおらす24時間のうち、15時間働き、9時間休んでいると考えると恐くなってしまいます。
働き過ぎているのは、十分わかっているが、そのような働き方をするときが3日連続とか、5日連続とかになると、何のために頑張っているのか良く分からなくなってくるし、とにかく休みたくなってしまいます。
本当に繁忙期は、25:00に家に帰り、26:00に寝て、7:00には出勤するような日が続いきました。
その結果当然心も休まらなくなり、単純なミスやトラブルが多くなり、さらに時間がかかってしまうという悪循環にはまることが多々あった。
定期的に辞めたくなる
辞めたくなるようなときは、定期的にあります。ただし、自分の中で「仕事が嫌だから」退職するという考えは、あまり無いです。
むしろ「どうしてもやりたい事がある」という理由での退職は大いにあり得ると思います。
つまりネガティブな理由まだやりきってない状態での退職は、あり得ないと思っています。
ポジティブで前向きな考えでの退職を目指したいと考えていいます。そのためにも、少しずつポジティブな退職をするとしたら具体的にどのようなパターンなのか?真剣に考え始めました。
今は教育と全くの関係ない分野のものでも様々な仕事、世界を知りたいです。
ただし、まだまだ教員としてやりきった感がないので、新しい世界を探す一方でこの仕事をやりきろうと思う気持ちも強いですね。
激務なのに給料差はなく、警察からの連絡も四六時中来る
30代の既婚女性です。現在は休職中(子育てに専念するため)
勤続年数:5年(計5校に勤務)習熟度別授業のための加配による非常勤嘱託員(毎年度毎に契約更改)
年収は約240万で。担当教科は英語です。中学全学年を受け持っています。
まず第一に、労働基準法に全く遵守していない勤務形態で、残業手当も付かず、労働と対価が見合っていないのが一番です。
中には早朝から出勤して部活の朝練を見て、夜九時頃まで仕事をしている人もいます。
とにかく業務が多岐に渡り仕事量も多すぎると思います。
第二に、教師個人個人の熱量に差があり過ぎて、一生懸命働く人もいれば、その影でサボりまくって楽する人もいて絶望します。
公務員なので当然、給料に差が出るわけもなく、サボり得だとお芋います。人事評価もあって無いようなものです。
第三に、休日昼夜、早朝深夜問わず警察や保護者から連絡がはいることもあり、特に保護者の中にはサービス業か何かと勘違いしているのか、お客様は神様的な対応を要求してくる人もおり、精神的にも疲れまくり、気が休まることがないです
妊娠の時に辞めたくなった
大学卒業から五年間、教壇に立っていたがいましたが、若かった分、生徒たちには身近な存在として慕われ、悩みを相談されたり憧れられたりしていたと自負しています。
私自身、人と人との繋がりを大切に生きたいと思って教職の道に進んだので、生徒が寄ってくるのは嬉しかったし、やりがいを感じていました。
教壇に立ちながら結婚し、初めての妊娠をしても仕事をし続けていた矢先、流産してしまい、その時は仕事を辞めたいと思いました。
2度目の妊娠発覚時が三学期だったので、その年度末で退職、今に至ります。
年度末には、人手不足から次年度の復帰の声がかかったり、欠員が出たところから依頼されたりするけれど、自分の子供で手一杯で、よその子を指導する余裕もなく、そうこうしてる内に教員免許の更新も必要になり、現場復帰は遠のいているのが現状です。
苦手な部活の顧問になって本当にしんどい
勤続年数は10年を超える節目の年であり、立場的には新しく赴任してきたばかりですので、それほど高くありません。
年収は大体350万円ほどで担当している学年は中学1年生から3年生まで請け負っています
仕事自体は徐々に慣れつつあり、もうすでに10年という長い期間中学校の社会科担当中学教師として勤めているのでそれほど問題なく、滞ることなく勤められていると思うのです。
しかしながら部活動はというと話は別です。
元々体育会系ではない私、文化系で体育の方はめっきり苦手でありました。
しかしそんな私にも男性という性別と比較的若いという理由から運動部の顧問を務めなければいけないというように半ば強制的に指導を受けたのです。
私が現在の中学校へ赴任したのはここ2年ほど前であり、それほど立場が大きくなかった私が断れるはずもなく、私が全く苦手な運動部しかもバスケットボールという難易度の高い部活の顧問として精を出さなければいけなくなったのです。
学習指導よりも部活指導が優先になって辞めたくなる
部活の顧問に就任してからはきっちりとバスケットボールのことも勉強しなくてはなりませんでした。
- チームのフォーメーション
- 上達する練習メニュー
- 監督としてのあり方や練習試合のセッティング
- 公式試合へのエントリー
とにかく顧問として勤め上げるということがすごく大事だとして、完全に私の仕事は顧問として活動することに重きを置くようになりました。
私の中学校教師としてその多くの時間がバスケットボールの顧問として尽力せざるを得なくなっていたのです。
元々それほど難しくはない社会の担当ですので、テストなども毎年同じような繰り返しです。パターン化できるので勉強を教えるということという教師の本文自体は難しくはなく簡単とまでは言いませんが、こなせてきたのです。
しかしながらやはりバスケットボールの顧問という重き重圧に耐えかね、すごく辞めてしまいたくなりましたし、今もその思いは重ねて継続中であります。
荒れた中学校での学級指導がしんどい
中学校常勤講師2年、中学校教諭2年を経験致しました。
教科は英語です。
年収はうろ覚えですが、おそらく450~500万円ほどだったかと思います。
常勤講師1年目は2年生の副担任、授業は1年生も担当致しました。
常勤講師2年目は1年生の副担任、授業は一時期のみ病休の先生の代理で2年生を担当致しました。また週に1回のみ、近隣の小学校への派遣で英語の授業を担当致しました。
教諭は1年目・2年目共に1年生の担任をし、授業は1年目は3年生も担当致しました。
① 荒れている学校の生徒指導
教師に対して暴言ばかり吐く生徒、授業中に立ち歩いたり授業妨害をしたりする生徒、授業が成り立っていないクラス全体への指導など、予想していた以上に指導が難しく、日々疲労困憊でした。
② 担任業務
一生懸命やっていても生徒の心をつかめませんでした。一部の生徒との信頼関係がこじれると、場合によってはそれがクラス全体に悪影響を及ぼし、クラスの大半の生徒との関係も崩れてしまいました。いじめや不登校も発生しましたが、その生徒たちとも信頼関係を築けず、解決できませんでした。
③ 部活指導です。知識不十分なスポーツの顧問は、あまり楽しいとは感じられないことが多かったです。休日返上で出勤しないといけないのはかなり負担が重かったです。
授業の立て直しは不可で退職
講師の時は、膨大な苦労をしながらも何とか乗り越えようとしておりました。
副顧問をしていた部活動で、荒れているチームを主顧問と協力して立て直し、どこに出しても恥ずかしくない素晴らしいチームに変わったというドラマのような感動体験もあり、それが励みで辞めなかったというのもあります。
そのようにチームが変貌したのは、どんなに荒れていても主顧問の横で部員一人一人にしっかり向き合って関わることができたからです。
しかし教諭になってからの担任業務は、2年ともうまくいきませんでした。一人一人としっかり向き合うというのは、教室内で暴れる子も多く、上記の部活指導のようにうまくはいきませんでした。
そしてついにこの仕事は自分には向いていないと思い、退職を決意致しました。
モンスターペアレントの対応が辛い
27歳男性、早いもので新卒から今年で教員4年目、担当学年は学校の規模や年度にもよるので決まりはないが、中学校1〜3年すべて、国語科担当。大阪府在住。部活動指導も運動部から文化系までいろいろとやっています。
仕事なのでつらいこともあるが、まず前提として、それらの「辛いこと」のほとんどが時間外労働で残業代が出ないというのを知ってほしい。
建前として「本来仕事ではないこと」を「善意でやっている」のです。
親からのクレームは夜中に自宅に来た
辞めたくなったエピソードは多々あるが、よく覚えているのは、新卒1年目に、問題行動のあった生徒を指導したところ、親からのクレームが自宅に来ました。
夜中に「これからお前の家に行く」「お前の生活をめちゃくちゃにしてやる」「俺のコネを使ってクビにさせる」と脅されたこと。
当時言い返すこともできず、ただただショックで呆然とするしかなかった。ただ数年もやるとモンスターペアレントは数え切れないほどいるので慣れてきます。今時は恐喝として対処できるとは思いますが、当時は日常茶飯事でした。
お客様意識の保護者の改善が必要
「生徒・保護者=お客様」ではないということをはっきりと示すべき。もちろん末端の職員がではなく、管理職や政治家がはっきりと教職員を守るという態度を取るべき。
経験として、生徒も親もお客様だという意識が抜けていない家庭は生徒の学習へ向かう自主性も少ないし、生活や進学も難しい生徒が多い。
ただ、これは親や生徒が悪いのではなく、教職員を、ひいては学校教育を軽んじてきた行政の責任が大きいと思う。現状では衰退の一途を辿っています。私も数年以内に辞めるつもりです。
子育てと教師の仕事の両立がきつい
るりたまと申します。年齢:49歳、教師歴:13年、担当学年:中1~高3、担当教科:社会科・地歴公民科、住まい:埼玉県です。
東京都の私立中高一貫校で13年間教員をしていました。2016年3月に退職しましたが、現在は大学の専任教員をしています。
当時、子どもが小学校に入学したばかりで、私の帰宅が遅い(遅い時は22時頃)ため、宿題もできず寝てしまうなど学校生活に支障が出ていました。
祖父母にサポートして転勤んのいましたが、宿題等をさせることができず、小学校低学年の子供は親のサポートなしに自力でやることは不可能だと痛感しました。
自分の子供の面倒を見れないのは本末転倒
他人のお子様の面倒(指導)を一生懸命しているのに、自分の子どもの面倒は全く見れず、子どもが学校生活を無事送ることができないのは本末転倒だと考えました。
遠方の学校で朝早く出勤し、夜遅く帰宅せざるを得なかったこと、土曜日も授業で、日曜日も部活の付き添いがあったこと、宿泊行事や合宿の引率業務があり、4泊5日を年に何度も家を空けなければならなかったことから、子育てとの両立は無理だと判断しました。
結局大学研究員に転職
当時の勤務先では子育てとの両立が不可能だったことから、転職以外に解決策がありませんでした。
自分のキャリアを生かして、かつ子どもの世話ができる仕事に転職するために、研究者・大学の教員を目指すことにしました。
大学院に通いながら中高や大学の非常勤講師をすることにし、子どもが小さいうちは仕事をセーブして子どもに関われる状況にしました。
中学生になるタイミングで、大学の専任教員に転職することができ、子育てとの両立をしながら正規職員として再度仕事ができるようになりました。
高校教師の本音
高校生は体力的には全盛期です。体格もほぼ大人と同様で、教師との体力差も出てくるところ。
よくTVでも高校教師のドラマが話題になるのはそれだけ問題が多いということです。実際にはTVと違う現場の様子を現役の先生に語ってもらいました。
- 生徒から教師に対する暴言や暴力
- ケガの危険性が高いいたずらの対処
- 治安の悪い学校での地域管理
- 進学時の保護者と子供のトラブル
- 急速な民営化での現場の混乱
- 部活の対応
- SNSを使った陰口の拡散
聞いているだけで胸が痛くなるものばかりです。
仕事に際限がなく本当にやってられないと思う
勤続年数は3年、私立学校教諭、年収は350万円程度、担当学年は高校1年生で担任をしており、広報企画部に所属しています。また部活動の顧問も担当し、専門の教科は家庭科で2年生のクラスと3年生のクラスを担当しています。
やっていられないというときは、仕事に終わりがないことです。授業のことでも生徒のことでも考えれば考えるだけやることや課題が出てきます。
またお給料は勤務時間しか発生しないため、休日、いくら家で仕事をしても収入は全く入らないということが辛いです。
またどれだけ頑張っても頑張らなくてもお給料は同じであるというところも辛いところです。残業手当などはでないため、定時で帰る先生でも遅くまで残って作業をする先生でもお給料は変わりません。
また部活動に関しても、休日は申請を出すことができますが、平日はいくら遅くまでやってもその分のお給料が発生することはありません。頑張れば頑張る分だけ心と身体が休まる時間がなくなってしまいます。
生徒の罵声でやる気がなくなる
何度も辞めたくなりました。まずは生徒たちから心ない言葉を浴びせられたときです。授業が面白くなるようにたくさん準備しても、つまらないと平気で言われてしまうと心が折れてしまいます。
また若いからといって色んな行事に駆り出されるのも苦痛でした。
せっかくのお休みに交流会や親睦会という名のついた行事がたくさんあり、お給料も発生しないのに、1日のほとんどの時間が潰されてしまあときには、何をやっているんだろうと辞めたくなりました。
それでもこの仕事を続けているのは、喜びや達成感があるからかもしれません。特に担任を受け持ち、一年やり切った後に生徒たちに感謝されたときは、頑張ってよかったなと心から思え、嫌な気持ちは吹き飛んでしまいました。
授業中のけがに注意するのが大変
私はすずと言います。25歳です。勤続年数は3年で新任から少したっています。教える科目としては技術を担当しています。年収300万程度
です。担当している学年 は高校生の三学年です。週に連続の時間で三時間教えるのをそれぞれの学年、クラスで行っています。
個人的には朝早くから出社して遅くまで残ることです。高校はどこに行かされるのかは前もって知らされることがなく急に教えられるためかなり大変です。
家から通うために朝早く起きたりするときもあります。また、部活の副顧問もしているため顧問がいないときは見回りに行ったり生徒が安全に部活を終え帰るまではしっかりと見て戸締りをし遅くまで残って仕事をすることが大変です。
その後の自分のことをするのがかなりつかれてしまいます。
次の日の授業の準備や生徒からの質問が来そうな点をまとめたりと準備をしつつプライベートな時間も過ごすことがかなり大変です。
また、高校生はかなりやんちゃする子もいて技術でははんだごてを使ったりと一歩間違えれば大怪我をしてしまうようなものもあるので授業中は常に気を張り注意をしています。
学校にいても家にいても気が抜ける時間が少ないことでかなりストレスを感じます。
生徒のけがを自分のせいにされて辞めたくなった
仕事が辞めたくなった時は何度もあります。
生徒が授業中けがをしたときです。
「何度も危ないのでやめなさい」と注意をし危険喚起をしていてもだんだんふざけてしまい大怪我をしてしまい、保護者に注意ができていない教師だとせめられました。
先輩の先生に「やっぱり新しい先生で若いから全然だめだな」どかなりきついお叱りを受けたときには本当にやめたくなりました。
前もって注意をし何度も言っているいるのにあれ以上どう知ればよいのだろうと思ってしまいます。
もちろん、その後は授業をやりたくなければそれでよいと怒れば異常だとまたクレームを言われたり本当にやりにくくて大変です。
生徒だけでも大変なのに全く自分の授業とは関係のない科目の先生の仕事(テスト等)をやらされたり自分の仕事をする時間を取られてしまうことがあり本当に辛いです。
この仕事は好きで続けていきたいので上司の方に言い注意をしてもらったり授業中は他の先生に立ち会ってもらったりして保護者への対策もしています。
治安の悪い高校に赴任してから正直毎日がしんどい
現在教員生活5年目の男性です。大学は工学部の出身でしたが数学の教員免許を取得し、地元で教員になりました。
大学を卒業した直後の2年間は教員採用試験を受けながら臨時の講師として働いていましたが、私立高校で採用となったため、現在は教諭として高校1年生の担任をしています。
年収は350万円程度です。
仕事がやっていられないと思うことはほぼ毎日なような気がします。私の勤めている学校は大学への進学などはほぼないといっていいほど偏差値の低い学校なのですが、とにかく治安が悪く、そういった指導をする度に疲労を感じます。
偏差値イコール治安の良さであるとは思ってはいませんが、本当にそういった生徒が多い学校です。
また、それだけでなく担任も持っているということもあり、雑務も多く、やってもやっても仕事が溜まる一方であるといったことはしょっちゅうあります。
個人的に最もしんどいと思っていることはやはり部活動であると思っています。近年働き方改革が進んできているとはいえども、部活の成績は次年度の生徒数に少なからず影響してくるため、相変わらず忙しくしています。
人事異動をアピールし何とか乗り切った
正直なことを書きますと今の学校に赴任した年は辞めたくて仕方なかったです。
というのも部活動が忙しく、平日は毎日19時まで部活をし、その後1時間ほど雑務をして帰る、休日も当たり前のように出勤し、日曜日は休みのことが多いですが疲労が溜まって一日寝て過ごすといった生活を送っていました。
このような生活が続くのはしんどいと思いましたが、教員としてやりたいことがたくさんあったため、やめることなく次年度の人事について積極的にアピールをし、次年度以降は私の希望の通りの人事で働くことができています。
なんだかんだでこの仕事を現在も続けていますが、やはりお金にはならない仕事であるということには変わりはないと思います。やりがい、というより意欲的な方しか長くは働くことができない仕事だと思います。
私立の進学高は保護者からのクレームがやはりきつい
大学を卒業し私立の高校に教師として赴任しました。科目は国語科です。勤続はまもなく6年目になりますが去年から専任となり勤務しています。幼少期よりサッカーをしてきたのでサッカー部の顧問としても働いています。
国語の教師としては教えることやテスト対策などは特に億劫にはなりませんが正直、保護者が結構ストレスです。
最近はいわゆるモンスターペアレントが必ずいます。理不尽なクレームに対応するのがしんどいので嫌になります。特に生徒会長の保護者などが結構厄介です。
学校にも貢献して下さっているので無下にもできないので対応が難しいです。
またサッカー部の顧問としては好きなので仕方ないとはいえ、土日祝には練習試合や公式戦があり、平日は練習がありと結構忙しいです、ぶっちゃけ年間の休日は実質10日間ほどしかありません。
プライベートがなさすぎることが不満ではあります。サッカーを含め、スポーツに力を入れているので今の学校では買わられないことだと思いますが。
卒業までと思い我慢して続けている
上記が嫌なことではありますが結果的に続けています。まず保護者対策としては正直1年、最大で長くても3年で確実に消えるからです。
そう思うと、日々の嫌なことも我慢できています。
しかも結構あるあるでどの先生も経験していることなのであまり良くはないかもしれませんが先生陣で愚痴を言うことがストレス解消になっています。またサッカーはどうしても好きなスポーツですし勝利の喜びなどを味わうといた仕方ないと思えます。
どうしても嫌になれば申告して顧問を外れることもできるので今は我慢できます。現在はある程度良い生活も送れているので辞めなくて良かったと思えています。好きなスポーツや科目を選ぶことがやはり重要なことだと再認識しました。
問題児の保護者との面談で本当に疲れがたまる
40歳男性です、都内の都立高校に勤務していて勤続年数は13年です、立場は役職はなく一般の教師です、年収は340万円です、担当学年は3年生です。
以上が私の自己紹介になりますがちなみに私は独身者で都内某所の賃貸住宅で一人暮らしです。
教師をやっていて一番やってられないと思う事は生徒の親御さんの対応です。
分かりやすく言うと生徒が学校で問題を起こした時に親御さんに連絡を入れて私と生徒と親御さんで面談をし問題点をお話するのですが、これがうまくいきません。
一部の親御さんは連絡をしても「忙しいから学校には出向けないので学校側で対処して下さい」と言ってきたり、学校に出向いたは良いけど「生徒が問題を起こしたのは学校側の対応が悪いせいだからだ!」と全て学校側の責任にしてくる方が結構多いのです。
教師の私からすると「忙しいから学校には出向けないと言うが自身の子供が問題を起こしたのに他人の子供みたいな態度でほったらかすの?」という感じです。
「自身の子供が問題を起こしたのは学校の対応が悪いから?」私からすると「教師の人数より圧倒的に生徒の人数のほうが多く一人一人を監視して指導する事は不可能なんですけど‥」と言いたい気分です、こうした事が本当にしんどくやってられないと思います。
意地と根性で何とか教師を続けている
辞めたくなった事なんか何回もあります、しかし現在も教師を続けていますが続けている理由は単純に教師になりたいと思って教師になったので辞める訳には行かないという意地です。
教師になる前に想像していた風景は教壇に立ち生徒達と笑い合いながら楽しい学校生活を送るという感じでした、しかし現実は全く違います。
生徒の中にはは教室でスマホをいじったり‥イヤホンで音楽を聴いたり‥女子生徒は私にキモいと面と向かって言ったり‥男子生徒は突然発狂し教室のドアを叩き壊したり‥と本当に酷いものがあります。
しかしこんな想像とはかけ離れた感じでも嬉しい事もあるのです。
例えば生徒が私の誕生日を覚えていてくれてサプライズで教室内でおめでとう!と黒板に書いていてくれたり、連休明けに学校で生徒達と会うと家族旅行に行ってきたからお土産と言ってお土産をくれたりと様々な嬉しい事があります。
こうした喜びもあるから何とか続けていけています。
部活の顧問になり他のコーチとの人間関係がストレス
4年制の大学をでてから公立高校に務めています。勤続年収は7年となり、現在高校一年生のクラス副担任を担当しています。学校には福祉科があり、自分は医療福祉を大学で学んでいたので、その経験を活かした日々授業を行っています。
授業自体はそこまで苦ではありません。赴任初年度であれば、勝手が分からず色々と苦労することはあれど、一年目に作った学習指導計画を、次の年にもつかえる事ができるので負担をへらすことができます。
しかし困ったのは、勤続2年目に部活の顧問をしてくれと言われたことです。はっきり言って嫌でした。
授業だけでも手一杯なところを、放課後、休日まで生徒に付き合うことになるので疲れます。よそではどうなっているのか知りませんが、我が校では上からこの指示が出れば暗黙了解で強制命令となります。
なかなか断ることが出来ません。
自分は陸上部をまかされています。休みの日にレース登録を行い他の学校のコーチとも懇意にすることでストレスがたまります。
正直言うと休日は家でテレビでも見たいので、こればかりはつらいです。顧問教師を行えば、プライベートの時間が益々減っていやでした。
他人の迷惑を考えて辞められなかった
辞めたくなったことが全くないといえば嘘になります。しかし、この職業は他の会社とはやや事情が違い、いつでもいくらでも代わりが用意されるものではありません。
顧問や担任、教科担当の身を与えたなら、年間を通してやり抜かないといけません。だからやめようと思っても、自分の都合より、他の人の迷惑を考えてやめることがかないませんでした。
そうしてモチベーションをなんとか保って続けるうちに、そんな業務の中にも少しの楽しみを見出すようになり、辞める事を考えるのをやめるようになりました。
早い話が慣れによって乗り越えることが出来たということです。
同僚だけでなく、子供の目もあるのが特殊な職場環境です。自分が抜けて子どもたちが不都合となることも考慮すると、すぐに辞めることは出来ませんでした。
教職と関係ない人がトップについてしんどい
勤続年数23年の50歳・2年生の担任で物理を担当。
年収850万だから平均的な年収、誰と比べて平均的なのか、それは同じ大学の同期と比べて。
私が大学生だった頃は就職氷河期のため、正規雇用されない同期も少なくはなかった、その中で希望する仕事に就き、そして続けられているのだから恵まれている。
小学校から大学まで通えば、教職がどんなのかは教師でなくても知っている、生徒や保護者も知っている。
実際に就いてみて、思っていた通りのことが殆ど、出身校による学閥があることは教師になる前から分かっていたため、どうしてアイツが要職に就くの?と思っても然程腹は立たない。
しかし、10年ほど前から教職経験がない者がトップに就くのが流行るようになると、「やってられるか!何も分かっていない教育の素人が偉そうに指図するな!」と不満を抱く教職員が多くなった、その中の1人に私がいる。
お飾りで教育のトップに立たれては、教師も困るが生徒も迷惑している。
教育の現場に「経営感覚!?」、なんだそりゃ!損得勘定で教育が出来るか!
流行りでトップに就いたため世間の目を気にしているのか、校則を変えると言い出した。
口で言うだけなら楽、校則を変えて誰が従わせる?教師の言うことを素直に聞いてくれる生徒なんて、うちの学校にはいないよ。
SNSがきっかけで辞める人が増えている
教師は生徒を見ている、生徒は教師を見ている、だから、授業が成り立つ。
しかし、アレヤコレヤ言って来る奴がいる、誰に向かって言っているの?教師は生徒を、生徒は教師を見ているから、アレヤコレヤ言われても部外者の意見は耳に入って来ない。
しかし、部外者の声は近頃大きくなりつつあり、教育現場に水を差しているのがSNS。
ネットの普及で教師もSNSをチェックしている、事実もあればそうでないこともSNSに載っており、事実かどうかは本人でしか分からない。
事実でなくても、第三者は事実と受け止めてしまい、SNSが嫌になって教職を離れる者が増えている。
教職を離れてもSNSでの情報は残る、削除をしても再び載り切りが無い。
十数年前に退職された教師のことが未だにSNSに載っている、教師は公人それとも私人、公人であろうが私人であろうがプライバシーは守られなくてはならない、しかし、今の学校に教師及び生徒を守れる術はない。
気軽にどうぞ♪